禅日記 30 近くのお寺に行ってきた④ お坊さんのありがたい説経

ようやく座禅タイムが終わり

ありがたい説経を聞く時間です

 

30人くらいの参加者が話になって座ります

お菓子がひとつずつ配られます

持参した湯飲みにお茶を入れてもらいますが

近くの2、3人で湯飲みを近づけ合い

若い方のお坊さんが注いで周ります

こうすると1人ひとりに注いで周るより

楽だし時間もかからない

「相手を敬うため」だとか言っていましたが

なんて合理的で効率的なんだと関心しました

 

話をする前に

今日の参加者の名前が書いた台帳(玄関で書いたやつ)を手にして

「初めて参加した人は」と聞いてきました

私を含めて5、6名ほどが手を上げました

 

そして一人ずつ

名前となぜ座禅会に参加したのか?を聞いてきました

 

真面目そうな若い男性は

「落ち着きが無いくて仕事でも普段の生活でも失敗が多くて困っている

 座禅で 落ち着きを取り戻したい」的なことを

 

ナイスミドルな管理職風な男性は

「仕事が忙しくストレスが溜まっている 精神的にも辛いので座禅を始めた」

 

まだ結婚してなさそうな若いカップルは

「彼が鬱で」

 

いやいや皆さんマジなやつですか

 

「なんとなく始めましたが

 このお寺は参加費が百円と安いので

 ホーム寺にしようかどうか下見に来ました」 

 なんて言えない

 

自分の番が来て名前を言うと

「お子さんの名前は?書いてないねえ」と聞かれました。

娘に食いついたので

「禅に興味があって、家で座禅をしていたら

 娘も面白がって座禅をするので本当のお寺に来てみました」

良い言い訳が口から出てきました 

 

「4歳で黙って1時間も座っていられるなんてすごい集中力だね

 足を組まないで座布団の上に座ってるだけでも大変なのに

 将来有望だね」

とお褒めの言葉をいただきました

 

非常に誇らしかったのですが

とうの娘はお菓子をポロポロこぼしながら夢中で食べ

1個では足らず私の分も袋を開け

さらに隣の親切なおばさんのお菓子も狙っている目線

あぁ煩悩の塊、、、恥ずかしかったです

 

さて肝心の説法ですが

「座禅で無になるとは」という話でした

まさに知りたかった話!

それを悟るために座禅をするんじゃないのか!

それをいきなり教えてくれるのか!

 

坊さん曰く

 

呼吸を整えて静かに瞑想する

いろいろなことが頭に浮かんできますよね

それでいいのです

浮かんできたことは今の自分が考えていること、気になっていることです

自分がそのことを意識している という事を受け止めるのです

無になろう 考えないようにしよう と思うのではなく

自然と浮かんできた 今の自分が悩んでいることを

認め 客観的に受け入れるのです

それでいいのです

 

うおおおお 深い!

なんだよ 雑念が湧いてもいいのかよ!

無になろうとしていた自分は間違っていたんだ!!

 

娘のこぼしたお菓子の屑を必死で拾いながら

目から鱗の衝撃を受けていました

 

今の自分を受け入れるという事なんですね

ありがたい説経でした

 

 でも私が座禅をしていて浮かんでくる雑念は

背中が痛いとか、「無」になってるかどうか分からんとか

しょうもない浅いことばかりですが(笑)

 

終わり