禅日記28 近くのお寺で座禅体験② 「境内を歩く」

4歳の娘と近くのお寺に座禅をしに行った話のつづき

 

30分くらい座禅をしたあと

お坊さんが何か言うと立ち上がって廊下へ歩いて行った

どうやら『境内を歩く』らしい

みんな立ち上がり廊下へ続いて歩き出した

 

私と娘も立ち上がった

と、その時!

足に衝撃が走った

そう 当然ながら足が痺れてしまったのだ

 

みんな列をなして普通に静かに歩いていくので

イタタタと転げ回ることも出来ず さも平然と歩きましたが

このような緊張した雰囲気の中であれば

足が痺れていても 意外と普通に歩けるものです

我慢できるものなんですね 足の痺れなんてものは

 

そういえばこんな話を思い出した 

お坊さんは座禅の修行をする際

一切の雑念を断ち 自分と向き合うそうですが

夏の夜に 蚊に刺されても 

それを追い払いもせず 痒くて掻くこともしないそうです

 

痛い、寒い、暑い、お腹がすいた、眠い

などの程度の低い人の生理的欲求から離脱して

無の境地に入るわけです

 

私はただ単に 

「自分だけ足が痺れて痛がっていたら恥ずかしい」

という理由で我慢しました

まだまだ修行が足りませんね

 

でも立ち上がって歩いている際

ふと お坊さんが座っている座布団を見ると

めちゃくちゃフワフワのいい座布団に座ってました

これなら足痺れないんじゃないの?  ずるい!

 

 

さて 玄関で靴に履き替え 境内にでました

胸の前で両手を重ねて一列になって歩きます

 

足が痺れているので我慢はすれど速くは歩けない

前の人との間隔がちょっとずつ広がっていく

娘が後ろから 「これ何?なんで歩いているの?」と聞いてくる

「わからん 今は黙ってついて行くしか無い」と小声でわたし 

 

決して広くはない境内をぐるっと一周して帰ってきた

特に綺麗な景色でもなく 住宅地の中にあるお寺だ

何だったんだ?と思っていたら2周目に突入した

 

またも娘が 「もう一周するの? え? なんで? なんで?」

一体何周するんだろうこれは 不安になってきた

座禅をするだけだと思ったら 変な儀式が始まってるんじゃないのか?

 

「無」になるどころではなく この状況を理解することで頭はいっぱい

すると 足の痺れがなくなっていることに気がついた

歩くペースも速くなり 前の人に近づいた

そうか 足の痺れを治すために 座禅の途中に休憩して歩いているんだ

そう悟った私は 娘に

「足の痺れは治ったかい そのために歩いているんだよ」と教えてあげた

娘 「え? 足痺れてないよ」 声がでかい・・・

 

境内を2周すると また玄関で靴を脱ぎ 本堂へ戻って座布団へ座る

2周っていうのが丁度いいんだな よくできたシステムだ

であとは説法を聞いて終わりかな?と思っていたら

 また座禅が始まった 娘も飽きてきそう

そろそろマズいことが起きるかな と思っていたら

 

今度は坊さんが棒をもって立ち上がった

あ!あれだ! 「喝っ!」といって叩かれるやつだ!

 

期待と不安が入り混じるマルオ座禅体験は後半へ続く

 

 

つづく