禅日記 16 「お寺に行ってきた③」

いよいよ木の棒で叩かれる時が来ました(という勝手な思い込み)

 

あれって 集中できていない(『無』になれていない)ことが

お坊さんには何故かばれてしまい

それで「喝」を入れられると思っていますので

私なんかはもれなく叩かれるはずです

 

しかし なかなか誰も叩かれません

座り方や姿勢を注意されている人は何人かいますが

バシッ っていう音が聞こえません

そして私の後ろも何度か素通りしました

「おっ まさかばれていない!?」

いきなり自分の坐禅のレベルは高かったということでしょうか?

 

そして結局

どうやら誰も叩かれなかったようです

期待外れ

ここのお寺では叩かない主義なのでしょうかね?

一般の人には叩かないものなんでしょうかね?

 

次に読経が始まりました

般若心経を読みました

言っている意味はさっぱり分かりませんが

読経のすばらしさを発見しました

それは「呼吸」です

 

なるべく息継ぎしないように長いフレーズで読み上げ

息継ぎは一瞬で空気を吸い込む これの繰り返しです

これってまさに「目指すべき呼吸」です

 

ただ腹式呼吸をするだけだと

自分に負けてさぼってしまい いつの間にか浅い呼吸になってしまいますが

お経を読みながらだと 少なくとも読み終わるまでは続けられます

 

しかも何を言っているか言葉の意味は分からないので(それじゃいけませんが)

頭の中が逆に空っぽになります

 

実に修行っぽいです これは

家でもネットでお経を調べて是非やるべきですね

普通に呼吸するよりいいです

 

読経が終わると また坐禅をします

その間 お坊さんが説法を話してくれました

「自然に生きるのが仏の道だ」みたいなことを話していますが

『無』になるということは外乱に惑わされないと思っていますので

「なんで今しゃべってんだろ?」

「集中できないじゃん」

「この話を聞いているようじゃ『無』になれていないってことだ」

「これはきっと自分の坐禅を貫くための修行なのだ」

と勝手に思い込み ほとんど聞きませんでした

後から思うと 普通にちゃんと聞いておくべきでした(笑)

 

そうしてほどなくして また鐘と太鼓がなって

坐禅は終了となりました

始めの時と同じように 前と後ろに礼をして

丸い座布団をもって(片付けるため) 柱の付近を通って仏間を出ました

 

長いような短いような 初めての坐禅体験が終了しました

 

つづく